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人材・派遣

株式会社ネオキャリア 西澤亮一 | 4年前の3倍超、70億円を売上げる人材サービス業が見つけた金鉱脈

株式会社ネオキャリア 代表取締役 西澤亮一

長引く各企業のリストラの影響で市場全体のパイが縮小傾向にある人材サービス業界。そのなかにあって急成長企業として注目を集めているのがネオキャリアだ。2000年11月創業、業界内でもまだ若い会社なのだが、リーマン・ショック直後の08年9月期に約20億円だったグループ全体の売上高は今期約70億円に達する見込みである。

同社の創業メンバーで02年4月に社長に就任した西澤亮一は北海道出身で1978年生まれ。クラーク博士の「青年よ大志を抱け」を彷彿とさせるような壮大な夢を持って創業に臨んだのかと思いきや、意外なことを口にする。

「経営者になりたかったわけではなく、自分たちで起業した会社で安心して働きたかった。在学中の山一証券倒産のショックが大きかったのかもしれない。就職活動で大手の金融機関から内定をもらっていたものの、自分の意思に反して歯車のように働いた末に、自分が知らないうちに会社が潰れてしまうことがあったとしたら、とても耐えられそうになかった。それなら自分の意思で人生を決められるほうが安心できると考え、起業を前提に投資会社に就職した」

大赤字になって社長に就任
苦労の中で見つけた金鉱脈

合計3000万円の資金を集めて、仲間8人とともにネオキャリアを立ち上げたときの西澤の役職は営業と企画を担当する取締役。当初の業務は人材採用の広告営業や人材紹介がメインで、西澤は全売上げの半分以上を稼ぐ活躍を見せていた。

しかし、社員の大半が20代前半で和気あいあいとしていたのはよかったのだが、経営という面では〝おままごと〟の域を出ていなかった。そして、創業から1年4ヵ月後に4000万円もの赤字に陥っていることが発覚し、会社倒産の危機に直面する。

そうしたなか、「西澤さんがやるというのなら、自分たちも頑張りたい」という仲間の声に押されて社長に就任することを決意した。しかし、それは自ら大きなリスクを背負い込むような行為。西澤の胸中にはどのような思いや考えが去来していたのだろう。

「ここで諦めたら、自分にとってビジネスは負けから始まる。後の人生のことを考えると、それはとてもきつい。それなら全員が辞めてしまって、どうにもならなくなるまで、とことんやってみようという気持ちになった」

経営者として不退転の決意で会社再建に臨んだ西澤は自分を含めて全員の給料支給をストップ。それが1年半もの間続いた。会社にかかってくる電話のうち3分の1は借金返済の催促という状況に嫌気がさして、社員が1人、2人と辞めていくなかでも、怯むような姿は一度も見せなかった。

そして、社長就任から1年半後に4000万円の黒字を計上し、見事V字回復に成功する。

その間に西澤が徹底してこだわったこと。それは「お客様の要望に耳を傾け、いかに付加価値をつけるか」だった。西澤はこれまで4000を超える会社を営業で訪問した経験を持ち、そのなかで人を採用したくてもなかなか難しいベンチャー企業の存在という〝金鉱脈〟にぶち当たる。当時、他の人材紹介会社の目は大企業や中堅企業に向いており、ニッチの分野として残っていたのだ。

その金鉱脈を掘り起こしながら、採用コンサルティング、新卒学生人材紹介など現在のビジネスモデルを次々と確立していく。そして、求人広告にはじまり、説明会や選考会の企画、面接官のトレーニング、入社前研修や入社式の企画まで、採用に関する入口から出口までのワンストップサービスを提供可能な唯一の人材サービス会社としての地盤を固めてきた。

社内限の書籍を発行し意識の浸透を図る

実は西澤はその途中で、自分の人生を決する大きな決断を下している。06年から08年にかけて3回に分けてネオキャリアの過半数以上の株式を買い取ったのだ。そうするためには億円単位の資金が必要だったが、西澤はすべて個人による銀行借り入れで賄った。

「それまでの自分は雇われ社長でしかなかった。会社のことを本当に自分で決めるためには、オーナー社長になる必要がある。そしてオーナー社長になって気がついたのは、会社を『伸ばすか』『潰すか』『売るか』の3つの選択肢しかないということ。後の2つはいずれも地獄への道。それなら会社を伸ばすことが自分の人生であると心が定まった」

会社が成長し続けていくためには、顧客の価値向上を果たして対価を得ていくしかない。そこでネオキャリアが掲げているものが「お客様に対する5つの約束」という「コミットメント」だ。
そこには「お客様の『創造・革新』につながるサービスを提供し続ける」「お客様の『意欲』が喚起されるサービスを提供し続ける」ことなどが掲げられている。
それらが単なる絵に描いた餅で終わってしまわないよう、経営方針や事業戦略などに具体的に落とし込まれているわけだが、さらに徹底する狙いから社員一人ひとりの行動指針である「クレド」が定められている。そこには「『高い志』『目標』を持ち、常に『創造・革新』を意識した『行動』をとり続ける」「『自信』と『謙虚さ』と『誇り』を持ち続け、『プロ』として『結果』を出し続ける」ことなどが盛り込まれている。

10年4月には西澤が自らの考えを著した社内限の書籍『ネオキャリア・フィロソフィー』を全社員に配り、いつでも、どこでもコミットメントやクレドに込められた意味を確認できるようにした。また、全社員が一体感を高められる仕掛けとして、コミットメントやクレド文章の一部を抜いて、穴埋めするような抜き打ちテストを全社で行なっている。

調子のいいときは窓の外を見る
悪いときは鏡を見る

「いま13事業部あるが、その事業責任者は売上高の伸び率や顧客のリピート率などあらかじめ決められた基準を下回ると、降格する制度を設けている。この健全な競争によって、一定の成長が担保され、社員一人ひとりが自ら育っていくようにもなる。社員の一体感の向上を含めて、こうしたカルチャーを維持しているかぎり、これからも成長し続けられる」
活字にするといかにも力強い言葉のように響くが、西澤は驕り昂ぶることなく、謙虚に丁寧に一つひとつの言葉を発する。その姿を見ていると、それらの言葉を受け取る側の心も素直になってくる。

そうした西澤の人間形成に大きな影響を与えた人物が、「いまでも尊敬している」と語る父親だ。北海道中標津(なかしべつ)町の町長を務めたこともある父親は、若いときに自分でしたいことがあった。しかし、飲食店を営んでいた祖父がつくった借金を返済するために地元に戻り、懸命に働きながら完済。そして周囲の人々に推されて町長になったのだが、西澤が現職に就いてネオキャリアの再建を果たした足跡とどこか似ている。

「確かに社長を引き受けたのは、父の姿を見て育ったからという面があるのかもしれない。その父から一番教わったことは、『謙虚な人になれ』『自分のふるまいで回りの人の人生が変わってしまうことを上に立つ人間は理解しろ』ということだった。

何か調子がいいときには窓の外の世の中の人々に感謝をし、逆に悪いときには鏡に映った自分の姿を見て反省しようという意味で、『窓と鏡』という言葉をよく使っているが、これも父の教えが土台になっている」

余談だが、社員が持っている小さなカードがある。そこにはコミットメントなどが書き込まれているのだが、裏側はなんと鏡面になっている。

最高のチームで最高の山に登る

リーマン・ショック以降の同社の成長の土台となっているのが、09年4月からスタートした派遣事業と翌5月に同時オープンさせた大阪、名古屋、福岡の地方拠点の整備である。前者については労働者派遣法の見直しの動きが強まっている最中であったし、後者についてはさらに景気が後退すると指摘されていたときの判断だった。

「よく調べてみると派遣に対するニーズはあった。地方の景気も決して悪くはなかった。一番大切なことはお客様の状況に合わせてサービスを提供すること。たとえそれが世間の見方と逆行して『逆張り』になったとしても、勝負に出るべきだ。確かに人材サービス業界は景気に大きく左右される。だからといって選択と集中で特定分野に絞り込みすぎて、身動きが取れなくなるような愚かなことは絶対に避けたい。どんな状況になっても、柔軟に対応していける姿勢を維持していくことが大切だ」

西澤の持論に「最高のチームを作るためには、最高の山に登ることを決めなくてはならない」がある。

そして、いま西澤の頭のなかにある最高の山が「2030年にアジアでナンバーワンの人材サービス会社になる」ということだ。その布石として、シンガポールと中国に進出済みで、今年10月にはタイに3番目の海外拠点をつくる予定でいる。

これから日本企業はさらにアジア進出を加速させ、海外でお金を稼ぐ時代になっていく。そうした進出企業の成長に人材サービスの面で貢献したいという思いから描かれた壮大な目標なのだが、西澤は夢で終わらせる気はまったくないようだ。

その目標に導かれるように社員の一人ひとりが自ら成長していき、必ず実現するものと確信している。その仕掛けはすでにネオキャリアのなかに備わっているのだから。

引用元:CEO社長情報

記事掲載日:2012年6月

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