障がい者を積極的に雇用する企業の幹部全員が記入する「未来ノート」
川崎市の財政を大きく好転させた民間企業のある取り組み
ほとんど知られていないが、今年(2014年)4月、川崎市の財政を大きく変えた一つのプロジェクトの成果が報告された。それは、川崎市内の生活保護受給者102人がある会社に正社員として雇用されたことだ。その効果は単に就労困難者の雇用創出だけではない。川崎市の生活保護関連支出は一般会計の約1割を占めるほどの負担に膨らんでいたのだが、それを削減したのである。
この雇用を実現したのは、ITエンジニア派遣やICTソリューション、オンサイト保守サービスなどを展開するアイエスエフネットグループである。創業社長の渡邉幸義は、生活保護受給者の雇用効果をこう試算する。
川崎市の生活保護受給者1人につき年間に約400万円の負担がかかり、100人だと年間約4億円。受給者の平均年齢は35歳だが、85歳まで生きると仮定すると、向こう50年で200億円がかかる。ところが受給者が就労して納税者に変わる。
「100人を雇用すれば、向こう50年で200億円以上の経済効果を生むことになる」(渡邉)
同社は障がい者など就労困難者の雇用実績で著名な企業で、経済産業省「ダイバーシティ経営企業100」、同「おもてなし経営企業」選出、厚生労働省「若者応援企業」認定、昭和女子大学「女子学生のためのホワイト企業ランキング」選定など、過去3年間に約20のアワードに輝いている。
同社では今年400人の新卒者を採用し、年内に就労困難者を400人雇用したいと考えている。社員数は海外8ヵ所で雇用している500人を加えて、今年中に4000人の到達を目指す。このうち健常者は60〜65%、就労困難者は35〜40%を占める計画だ。また、5月には、広島県呉市と障がい者および就労困難者の支援に関する協定を締結した。
「この国は就労する人を増やさないとダメになってしまう。外国人労働者の雇用も大切だが、まずは国内の働ける人を雇用すべきだ。高齢化で人口が減っていくなかで、就労困難者を活かして企業が成長することをアジアに向けて発信していきたい」
たとえば韓国ではカフェを運営し、韓国人の障がい者を雇用している。渡邉は「企業間競争の激しい韓国で、外国の企業が障がい者雇用に進出したことがリスペクトされている」と成果を述べる。
化学式で考えれば経営の課題は解決する
なぜ同社は、これほどまでに障がい者を雇用し続けるのだろう。答えはシンプルで、障がい者は働けるからである。
「通常の企業では『障がい者は働けない』と思っているが、そうした企業は障がい者に向き合って話をしていない。私は会ってみて、『働ける』と思ったから雇用した」(渡邉)
身体障がい者にはバリアフリーのオフィスを設計し、メンタル不全者にはプレッシャーのかからない仕事を与える。知的障がい者で書くことのできない人には、話すことと聞くことで取り組める仕事を与える。
創意工夫の結果、障がい者の退職率は他社の10分の1にとどまったうえに、経営幹部も誕生した。全盲で癲癇(てんかん)を罹病している28歳の社員は、取締役にすることも視野にあるという。障がいに応じた環境を用意すれば十分に働けるのである。
しかし、それだけでは、これだけの障がい者雇用を持続できないだろう。雇用創出とは別のもっと深い動機があるのではないか。
渡邉が挙げたのは、大学で化学を専攻したことだった。
中学1年のときから化学に興味をもった渡邉は「化学で生きていこう」と考え、高校2年で自ら化学式を作り出していた。
この意識はいまに続いていて、先にふれた川崎市の生活保護受給者の雇用では〈生活保護受給者×化合物=雇用〉という計算式で、1000種類の式を作ったそうだ。就労困難者を知って、興味を持ち、働ける理由を化学式の論法で探り出す。このプロセスは実験と同じだという。
「私から見れば経営は化学に似ている。私の頭の中はいつも数式だらけで、できないことに対して新しい物質を加え、できるようにして社会的な課題を解決してきた」
そのベースとなるのが、会社員だった1989年から毎日書き続けている「未来ノート」である。これは実験ノートの役割を持ち、平日は4時間、土日は10時間をかけてスケジュールやアクションアイテム、さらに何千通りもの「化学式」を書いて、課題解決につなげてきた。26年にわたって書き続けている未来ノートの冊数は295冊にも及び、いまでは幹部社員の全員が未来ノートを記入している。
こうした取り組みが実を結び、同社の経営姿勢が知れ渡るにつれ、共感する企業も増えて「業務を委託するなら他社でなく当社へという選択が多い」(渡邉)。この追い風を受けて、業績は堅調だ。アイエスエフネットグループの昨年度の売上高は前年度比20%増の100億円。
しかし、株式上場は考えていない。障がい者はプレッシャーへの対応力に弱く、効率化の追求や競争などには適さないからだ。
当面の目標は、障がい者雇用数で世界トップになること。現在の世界トップはスウェーデンのサムハル社の1万9000人だが、向こう4〜5年で追い抜き、日本で高齢化社会がピークとなる2025年に10万人を雇用する構想だ。
障がい者の子供が就労できないという世界中の親が持つ悲しみを解消し、どんな人でも75歳まで働ける社会を創り出すことが同社のビジョンである。
渡邉はこのチャンスを後進にも獲得してもらうため、毎月1回セミナーを開き、渡邉が就労困難者の雇用方法などを講義している。「私と同じように10万人の就労困難者雇用をめざす経営者が1000人いれば、国家予算に影響を与える経済効果を生み出せる」。
渡邉の取り組みは、単なる事業の拡大ではない。雇用を促進する新たな市場の創出に、その本質を見て取れる。
引用元:CEO社長情報
記事掲載日:2014年7月