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FILE NO.07
販売業

株式会社ヤオコー 川野幸夫 | 小売業の頑張りが 国民の生活を豊かにする

株式会社ヤオコー 代表取締役社長 川野幸夫
株式会社経営戦略合同事務所 名誉顧問 岩崎琢弥

社会派弁護士の道からスーパー経営への転換
ヤオコー式“全員参加の店づくり”と“個店経営”

1890年、埼玉の小川町で小さな青果店からスタートしたヤオコーは、川野幸夫氏の時代にチェーンストア化をはじめ店舗拡大を果たしてきた。

「豊かで楽しい食生活提案型スーパーマーケット」をコンセプトにして、旬の食材を使ったレシピの提案をする「クッキングサポートコーナー」を作ったり、手作りにこだわった惣菜を販売したりするなど、特徴ある店づくりを進め、他のスーパーからも注目を集める。

川野氏がヤオコーとともに歩んできた道や、独自の店づくり、人材育成について伺った。

小売業の頑張りが国民生活を豊かにすると気づいて

岩崎琢弥 小学館から出版された『しまむらとヤオコー』(小川孔輔著)という本を読みました。前から川野さんとは知り合いだったけれど、知らなかったこともたくさん出ていておもろしかった。結構、ご苦労も多かったようですね。

川野幸夫氏(以下敬称略) いえ、苦労なんていうことはあまりなかったですよ。

岩崎 けれど、もともとヤオコーは、川野さんのお母さんが経営していらした埼玉県小川町という地域の食品スーパーマーケットで、それを、ご長男である川野さんが継いで、上場させて、今や食品スーパーマーケット業界でトップクラスの利益をあげている。こう言っては失礼だけど、私は当時「東大の法学部出が、小売なんかできるわけない」と思っていました。けれど、始めたらどんどん業績をあげてきた。そもそも、どうして店を継ごうと考えたのですか?

川野 昔は住まいと店が一緒でした。当時の屋号は“八百幸商店”で、父や母の働きぶりを見ながら育って、物心ついた頃には、「商人になりたくない」と思っていました。父や母はいつもぺこぺこお辞儀ばっかりしていて、何となく卑屈に思えたし、市場や問屋から商品を仕入れてそれを店に並べて売るだけだと思えました。そこに付加価値を加えられるものはない。それならば、社会派の弁護士になって、困った人を助けてあげる方向に進みたいと思ったのです。

岩崎 それで、弁護士を目指して東大へ入ったわけですね。

川野 はい。ところが、私が大学に入った年、八百幸商店は店を拡張し、当時としては本格的なスーパーになりました。父がその前の年に亡くなりましたので、母は一人で頑張っていました。そんな母を見て、私も大学生として何か母の手助けをしたいと思い、スーパーマーケットのことを少しでも勉強して母に理論的なことを伝えたいと考えました。勉強を始めてみると、小売業というのは私が考えていたこととは全然違って、小売業が頑張らないと国民の生活が豊かにならないことがわかりまして、それで宗旨替えをしました。それで、41年に大学を卒業してから、当時浦和に4店舗あったマルエツさんで修行し、その後、ヤオコーに入りました。

大卒採用と株式公開が大きなエポックに

岩崎 スーパーを継がれてからこれまでの間に大きな転換点はありましたか?

川野 大きな転換というよりも、スーパーマーケットは、真面目にこつこつと誠実な商売をしていくことが一番大切。自分で言うのもおかしいですが、私に向いていたのだと思います。エポックという点では、大卒の社員を採用したことです。

岩崎 川野さんがヤオコーに戻ったのが昭和44年。そこから大卒社員の採用をはじめたのですか?

川野 いえ、まずは実質上の店舗展開を開始しました。当時は、ダイエーさんや西友さんがどんどん店を作っていました。これ以上ヤオコーが遅れたら大変なことになると、焦りの気持ちがわいてきまして、私たちも1年に1店舗ぐらいの割合で店を作りました。ヤオコーの力でも地域で1番店になれるような場所、つまり投資効率は十分によくないけれど地域1番の売り上げがとれるところに出しました。最初の6店くらいは初年度から黒字になり、ヤオコーのチェーン展開上のスタートダッシュになりました。そういう中で昭和51年に大卒採用をしました。

岩崎 当時はいわゆる3Kということが言われていましたよね。スーパーマーケットの仕事もそこに括られがちではなかったでしょうか。そういう風潮の中、大卒の方はすぐに集まりましたか?

川野 おっしゃる通り3Kと言われ、学生さんには人気がなかったのですが、なんとか来てくれました。

岩崎 そういう人たちに店を任せていったのですか?

川野 すぐにというわけにはいきませんでした。10店舗ぐらいまでであれば、社長が全部見られますから、当時は本部主導で経営していました。そんな中、大卒の一期生が「学校の求人の掲示板に資本金950万円なんていう会社はヤオコーしかない。かっこ悪い」と言いにきました。まさにその通りだと思いました。

岩崎 それで増資を始めたわけですね。

川野 10年間で4億円に増資しました。

岩崎 10年で40倍ですか、それはすごい。増資作戦はうまく行きましたか?

川野 これによって経営側が本気だということを社員が分かってくれました。そこが一番大切です。転換期ということでいえば、あとは株式公開。

岩崎 昭和63年ですね。

川野 はい。目的はヤオコーの社会的な知名度や信用度を高めて新しい人に入ってもらうことでした。それから、社員になってもらった人たちに「ヤオコーに入って良かったな」と胸を張ってもらうため。株式公開して一番良かったのは社員のご家族が喜んでくれたことでした。家族の喜びは社員の背中も押してくれますからそれはよかったです。

画一化したスーパーマーケットから特徴ある店づくりへ

岩崎 でも、昭和60年代も進んでくると、バブルがはじけて、どの業界もだんだん業績が悪くなっていきましたよね。その一方で、顧客のニーズの多様化ということも出てきた。当時は、ヤオコーではどのような経営戦略を練ったのでしょう。

川野 そうです。その頃から、お客さんのニーズが多様化、個性化、高度化していきました。ところが、当時のスーパーマーケットは画一的で、どこも同じような店。そこにお客さんが拒否反応を示し、店の特徴をはっきりさせないとお客さんが来てくれない時代に変わっていったんです。私たちが提供する商品やサービスのレベルがお客さんの要求している高いレベルに達していないのだと思いました。あらためて、自分たちのスーパーのあり方を考えていかないと、もうヤオコーの将来はないと。

岩崎 そこで「豊かで楽しい食生活提案型のスーパー」という新しいコンセプトを打ち出された?

川野 そうです。ヤオコーがどんなスーパーかを明確にしました。

―具体的にはどんなやり方をされているんですか?

川野 個店経営です。スーパーは地域によってお客さんのニーズが微妙に違うので、その地域にあった商売をする必要があります。その店へ来るお客さんのことを一番良く知っているのは、その店の店長や社員。そして、「パートナーさん」と呼ばれる地元で暮らす地域の主婦の方々です。その全員で店を見て、力を合わせて、その店に来るお客さんのために何をしようか考えて商売をしています。本部主導ではなく、そういう全員参加の経営、個店経営をしているのです。

岩崎 そうすると、社員やパートの方の教育が重要になってきます。しかもそれは難しい問題だと思います。どうされているのですか?

川野 大切なのは、パートナーさんやアルバイトの方まで、ある程度、権限を与えてお任せすることだと考えています。小売りは自分のやったことがすぐにお客さんからの反応として返ってきますので、権限を持ってやっていると、自分が世の中に係わっているという実感が得られ楽しい。その楽しさをみんなで味わおうとしています。私どもではそういう育て方をしたいと思っています。

―本社の役割は主に商品の買い付けですか?

川野 はい。産地の指導もします。多くのスーパーは中央集権型ですが、うちの場合は地方分権型。お店が中心です。役割分担をしながら、店にはやりたいことをやってもらうのが私たちの考え方です。

マネジメント能力、コミュニケーション能力、そして想像力

岩崎 お店に権限があると、店長のマネジメント力も大切になってきますね。

川野 そうですね。マネジメント能力や、その基礎にあるコミュニケーション能力。もう一つは、私たちの場合は想像力も大切だと思っています。この店にいらっしゃるお客さんはどういうものを望んでいらっしゃるのか、どういう食事をして、どんな風に生活シーンを作ろうと思っていらっしゃるのか、ということに対する感性みたいなものです。

岩崎 感性ですか。スーパーマーケットのお話で感性という言葉が出てくるとは思いませんでした。感性というと?

川野 たとえば、一般的にスーパーマーケットは、魚は魚部門、肉は肉部門、野菜は野菜部門というように縦割りの組織です。でも料理は縦割りではない。魚と野菜とか、肉と野菜などを組み合わせて作ります。ですから、私どもでは部門に横串をさして、売り場ごとに料理の提案をしています。特に「クッキングサポートコーナー」というコーナーでは、一日中、主としてパートナーさんが料理をしています。いわば料理のよろず相談所。鮮度の良いいわしが安くてたくさん入ってきたとすれば、そのいわしを使った調理を「クッキングサポートコーナー」で実際に作ってお客さんにおすすめするんです。

岩崎 なるほど。主婦の皆さんにとって日々の悩みは「今晩、何のおかずを作ろうか」ということが悩みになっているわけですから、そこを助けてあげるわけですね。

川野 はい。その苦労を少しでも和らげてあげるために、店はソリューションをするわけです。だから、店長にはそういう感性が大事なのです。

―さて最後になりますが、これからはどこに力を入れていかれますか。

川野 少子高齢化で、私たちがターゲットにしている胃袋は小さくなっていますが、日本人は食という文化を大切にしてきています。そういう中、ただ、単に画一的なお店で安いだけではお客さんは喜ばない。ですから、美味しいものをたくさん品揃えして値ごろで提供したり、あるいはいろんな情報があって買い物に行ったら楽しい、食卓も楽しいと、そんなスーパーマーケットを望んでいらっしゃると思います。だからまだまだ私たちのようなスーパーマーケットが欲しいと思ってくださるお客さんはたくさんいらっしゃると思っています。ですから、出店の余地はたくさんある。今は111店ですけれど、当面の目標として首都圏に500店出したいと思っています。

岩崎 なるほど。500店目指してこれからもひとつ頑張ってください。ありがとうございました。

引用元:あすなろ

記事掲載日:2011年4月28日

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