LEADERS FILE

日本のこれからを見据えたビジネスリーダーたちの次世代を切り開くメッセージを収録。

FILE NO.05
外食産業

株式会社ドトールコーヒー 鳥羽博道 | ドトールの経営理念に学ぶ 成功の手法

株式会社ドトールコーヒー 名誉会長 鳥羽博道

「喫茶革命」とまで称された「ドトールコーヒーショップ」は、
創業者、鳥羽博道名誉会長の「喫茶業を変えたい」という使命感が具現化したものである。
日本初のセルフサービスコーヒーショップは、いかにして誕生したのか。
鳥羽名誉会長の歩みを振り返りながら、ドトールコーヒーの経営理念をひも解く。

「負けず嫌い」な性格がその後の成長を支える原動力に

ドトールコーヒーは、主力業態の「ドトールコーヒーショップ」をはじめ、「エクセルシオール カフェ」「カフェ マウカメドウズ」「カフェ コロラド」など、顧客ニーズに沿った業態を次々に展開。コーヒー豆の輸入・生産から焙煎、店舗運営に至るまでを一貫して自社で管理するビジネスモデルが、ドトールコーヒーの成長を支えている。

現在、グループ総店舗数は1400以上(セルフサービスコーヒーチェーンの店舗数では、ナンバーワン)。利用者数は、毎日約60万人。業界のトップチェーンとして高い集客力と収益性を誇っている。 鳥羽博道名誉会長の言葉を借りれば、事業成功の秘訣は、「最初に正しいポリシーと使命感を持つこと。そして、成功するまでやめないこと」。ドトールコーヒーが半世紀以上に渡って発展できたのは、鳥羽名誉会長の「日本の喫茶業を変えたい」という強い使命感に基づいているからだ。

「高校を中退して東京に出てきたのが、16歳のときです。父親との仲違いが原因でした。

東京に向かう列車の中で思い描いたのは、『友だちはみんな、ぬくぬくと高校、大学を卒業するのだろう。彼らが社会に出てきたとき、自分は絶対に負けたくない』という決意。友人に対する妬みでもありましたが、負けず嫌いであったことが、自分の成長をうながす原動力になったことは間違いありません。そして18歳でコーヒー豆の焙煎・卸業の会社に入り、翌年(1956年)、会社が有楽町に喫茶店をオープンさせる段に、私が店長を任されることになりました」

一杯のおいしいコーヒーを通して、安らぎと活力を提供する

店長を務めるにあたって、鳥羽会長が考えたこと。それは「喫茶業が世の中に存在する意義」について。このとき導き出した答えが、現在も、ドトールコーヒーの礎となっている。
「戦後間もない混乱期にあって、人々はみな、疲弊しているように見えました。だとすれば、彼らに必要なものは、“やすらぎ”と“活力”なのではないか。私はそう考え、『一杯のおいしいコーヒーを通して、安らぎと活力を提供すること。それが喫茶業の使命だ!』と思い至ります。私が、生まれてはじめて使命感を感じたときです。この使命感こそ、ドトールコーヒーの味づくり・店づくり・人づくりの原点です。
当時、喫茶業は軽んじられていて、『喫茶店でもやるか』と『でも』がつく仕事でしたが、私には、喫茶店で働く明確な方向性が見えていた。すなわち『喫茶店だからこそ、やりたい』と思ったのです」

「でも」ではなく「使命感」でやる。「やすらぎと活力を提供するには、どうしたらいいのか」を自分で考え、そして、みずから形にしようとした。 「設計の知識などありませんから、図面であらわすことができません。チョークを使って道路に線を引いて通路の位置を考えたり(笑)、色彩心理学の本を買って勉強をしたり、映画『ベンケーシー』からヒントを経て、清潔感のある制服を考えたり……。ふつうは設計者に任せるのでしょうが、私の場合は、当時から自分で設計していました。自分の使命を果たすのに、人の手を借りようとは思わなかったですね」

はじめに「動く」こと。考えすぎると、行動が制限されてしまう

従来の喫茶店のイメージを覆す「健全さ」が受け入れられ、有楽町の喫茶店は、成功を収める。しかし、鳥羽名誉会長は、手にした成功を手放してしまう。「未知の世界に飛び込んで、自分自身の価値を見定めてみたい」
との思いが沸き立ち、1959年、単身、ブラジルへ。「二度と日本には戻れないかもしれない」という不安を抱えながら、それでも「変化すること」を求めた。

「私は、考えるより先に行動するタイプです。最近はよく、『起業しようかどうしようか、悩んでいます』という相談を受けますが、いくら考えたからといって、成功するとはかぎりません。むしろ考えすぎると、行動が制限されてしまいます。暗闇の中を歩けば、どこで障害物に当たるかわからない。でも、暗闇の中を歩き出さなければ、道は拓けません。『ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよ
う』と余計なことは考えず、とにかく身体を動かしてみる。障害物に当たってしまったら、そこから学びを得ればいい。私が社長職を退任後(2005年)、経営の一切を現経営陣に委ねているのは、失敗を容認しているからです。人は、失敗の痛みを感じてこそ、成長するのではないでしょうか」

 

厳しさの中にも和気あいあい働ける会社を目指し「ドトールコーヒー」を設立

約3年におよぶブラジル修業を終え、1961年に帰国。1年間の準備期間ののち、コーヒー豆の焙煎・卸会社、「ドトールコーヒー」を設立する。資本金50万円。従業員2名。8畳一間の事務所は、焙煎所と倉庫も兼ねていたという。

「どうして自分で会社を興したのか。それは、『厳しさの中にも和気あいあい働くことのできる会社』をつくりたかったからです。お互いが真剣に仕事をする中で、『おまえ、大したもんだな』『いや、おまえこそ大したもんだ』と認め合える。お互いが讃え合う。お互いが尊重し合う。それが『和気あいあい』ということです。私の好きな徳川家康が天下統一を成し得たのは、家康が『殺戮のない平和な世の中』
を願ったからだと思います。織田信長の『天下布武』も武田信玄の『風林火山』も、戦いのノウハウです。けれど家康にあったのは、戦いをなくすことであり、『世のため、人のため』という使命感であり、その使命感が正しかったから、天下を治めたのです」

経営者は、倫理観と道徳観を失ってはいけない

19歳で喫茶業の意義(一杯のおいしいコーヒーを通じて、やすらぎと活力を提供すること)に気づき、そして24歳で理想の会社のあり方(厳しさの中にも和気あいあい働くこと)を見定めた鳥羽名誉会長。この2つの使命感は、その後、「一度もブレることがなかった」と明言する

「『この2つの目的のためだけに、自分の人生はあった』と言ってもいいでしょう。経営者は、正しいポリシーを持つことです。どういう目的を持って事業をするのか、そのポリシーが正しくないと会社は成長
しません。ポリシーが正しければ、社員全員が共感・共鳴して、『よし、社長と一緒にやろう!』という気概が生まれ、良い方向に向かう。けれど、経営者が儲けばかり追求してしまい、倫理観や道徳観を忘れてしまうと、そのとたん、事業の成長は止まってしまいます」

銀行からお金を借りたければ、「情熱」と「信用」を磨くしかない

鳥羽名誉会長が、喫茶店経営を画策した際、資金調達のうえでもっとも役に立ったのが、事業に注ぐ「情熱」と、自分自身の「信用」だったという。
「よく『銀行がお金を貸してくれない。だから創業できない』という話を聞きますが、その人が持っている情熱や信用が、他人を動かすことがあります。銀行は預金者のお金を融資に回すわけですから、“お金を返してくれる人”に貸し、そうでない人には貸しません。『銀行は冷たい』と嘆く経営者もいますが、銀行は冷たいから貸さないわけではない。貸さないのは、信用できないから。経営者の情熱が足りない
からです。銀行を責めるくらいなら、自らコツコツ努力を重ねて、他人(銀行)の信頼を得る仕事をする。それが私の生き方です。私もかつて、「情熱」と「信用」を武器にお金を借りたことがあります。ある問屋の社長が『もう少し広い事務所に移るべきだ。こんな手狭な場所では、社員も気の毒だ』といって、1200万円貸してくださった。それだけ『私が信用されていた』ということです」

経営に大切なのは、「はじめに人を喜ばせ、そのあとで自分が喜ぶ」こと

1971年、各国のコーヒー業界を視察するツアー(ヨーロッパ)に参加した際、「日本にも、パリやドイツのように、“立ち飲みコーヒー”の時代がくる」ことを予見。それから約10年後の1980年、日本初のセルフサービスコーヒーショップ「ドトールコーヒーショップ」がオープン(原宿)する。第2次オイルショックによる「景気の低迷」と「可処分所得の減少」を余儀なくされたビジネスマンにとって、150円コーヒーは大きな波紋を呼んだ。

「『ビジネスマンを助けなくっちゃいけない。経済的な負担なく、おいしいコーヒーを毎日飲めるようにしたい』。そう思ったんです。『手助けをしたい』という気持ちが先立っていたので、お金儲けには執着していませんでした。でも儲けに走らず、『人の役に立ちたい』というポリシーを持っていたからこそ、ドトールコーヒーは発展したのだと思います。『国民を幸せにする社会をつくりたい』。それが私にとっての幸せです。人の喜びは、我が喜びです。経営にとって、もっとも大切なことは、はじめにみんなを喜ばせ、あとから自分が喜ぶことではないでしょうか」

経営3つのヒント by 鳥羽博道氏

共生社会を目指し、税金は積極的に収める

これからの日本は、高潔な精神を持って「世界から尊敬される国」にならなければいけません。そのためには、デンマークやスウェーデンのような「共生社会」をつくっていく必要があります。税金がなんらかの形で「社会福祉」に貢献するのであれば、私は喜んで納税しますね。

「次の時代」を常に意識する

事業には寿命があります。寿命が来た時点で次を考えていては、間に合いません。「次の時代はどのような時代になるのか」を踏まえた行動を取るべきです。私がヨーロッパの「立ち飲みコーヒー」に触発されたのも、常に「日本の喫茶業界の将来像」に頭を巡らせていたからです。

歴史小説は、良質な経営書でもある

『三国志』や司馬遼太郎の『坂の上の雲』、坂本龍馬や徳川家康を題材とする歴史小説は、良質な経営書でもあります。『坂の上の雲』から学んだのは、勝負への執着心。「勝つための条件が揃っているなら、なにがなんでも実行する」という強い気持ちを学びました。

interviewer

KSG
眞藤 健一

引用元:あすなろ

記事掲載日:2011年2月

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