ISOを取らない、特許を取らない、世界トップメーカーの営業活動は「あえてせず」
資生堂の定番商品を一手に作り他社の発注を呼び込む
いまどき大手企業の外注先でISOを取得していない企業は珍しい。取得していなければ取引停止をほのめかされることもあるが、この経営者は意に介さない。
「数社から問題になると言われたが『関係ないだろう。何か悪いことをしているのか?』と答えた」
まつ毛をカールする化粧道具のアイラッシュカーラー(ビューラー)を製造する沼澤製作所社長の沼澤明夫は平然と語る。
大言壮語ではない。それだけの裏付けが同社にはあるのだ。
納品先は資生堂、ロレアル、シュウウエムラ化粧品、シャネル、メナード化粧品など約20社。ビューラーの生産量は月間約15万個にのぼる。沼澤によると、同社のビューラーのシェアは国内70%、世界シェアは20〜30%に達するという。
資生堂との取引実績が他社からのオーダーを次々に呼び込んだのだが、最大の納品先はいまでも資生堂である。2012年7月期の年間売上高5億円(見込み)のうち、資生堂の売上構成比は約50%を占める。資生堂が販売するビューラーの定番商品は、100%同社が製造している。07年に30年ぶりにリニューアルしてヒットした「マキアージュ エッジフリーアイラッシュカーラー」も同社の製造である。こうした実績がISO取得要請を断われる背景になっているのだ。
単なる下請けから5年をかけて有力問屋と専属契約
そもそも同社は父の代に創業し、ビューラー製造会社の下請けで金型を作っていた。
ところが1970年頃、納品先の担当者が内密に「沼澤さんは他社より値段が安いので値上げ交渉をしたほうがよい」と助言してくれたのだ。そこで父は納品先の社長に値上げを交渉した。だが、結果は受け入れられなかった。
ここで父はこの納品先との取引停止を決断する。この取引が年間売上高の半分以上を占めていたが、自社生産を行なうことにしたのだ。
3カ月をかけてビューラーの生産体制を整え、息子(現社長)と一緒に東京・浅草橋の問屋街に足を運んで、納品先の開拓に入った。
だが、くだんの納品先から各社に「沼澤製作所が営業に来ても取り引きしないように」とお触れがまわっていた。
苦労に苦労を重ね、最初の納品先を獲得できたのは半年後だった。かつらメーカーに毎月1万個の契約でビューラーを納品したのだ。
「父の技術力に裏付けられた品質が徐々に評判になっていったから」と沼澤は回想する。その技術力への評価はさらに高まり、納品先が増える中で、やがてビューラーの有力問屋から専属契約を打診されるまでになったのだ。
76年、この問屋の紹介で資生堂との取引きが始まった。下請けから脱皮して約5年が経っていた。
ここからビューラー製造トップ企業へと向かうのだが、それは資生堂との取引きを通して実現したと言ってよい。沼澤は説明する。
「資生堂の検査基準は世界基準よりも少し高い。だから他社は資生堂と取引きしているなら安心と評価してくれます。あるメーカーがビューラーの仕様について細かく要求してきたとき『資生堂でもそんなことはやっていない』と答えると、急に態度が変わりました。『資生堂と取引きしているの? じゃあ、任せる』とね」
ビューラーは長足、短足、中線、ゴム台、上部金具、シリコンゴムの6つの部品で構成され、製造は30工程にも及ぶ。資生堂の検査項目は10項目前後で、よくここまで見ているな、こんな箇所まで気がつくな、と感嘆するほど精度が高くチェックするのだという。
資生堂との取引実績が信頼性の担保になるのなら、国内に10社ある同業他社も取引機会を狙うはずだが、先述のように定番商品の生産は同社が一手に引き受けていて他社の入り込む余地はない。
営業に出向かないのも営業の心理学
では、同社の強みとは何だろう。
「品質的には他社よりも強度と精度が違うのだと思います。また、技術に関して特許は取っていません」(沼澤)。
特許を取ると情報が公開され、他社にノウハウを事細かに説明することになるからだ。同社の商品を真似た中国メーカーがあったが、技術のポイントが見えないまま真似ていることがすぐにわかった」
もちろん、資生堂との取引実績だけで納品先を増やせたのではない。クレームが発生する都度、ていねいに対処してきたことも大きな要因だという。クレームに対処する過程で、こうしてほしいと要望が示されるが、これが新たなテーマになる。
「クレームそのものが大事なお客さま」(沼澤)として、技術を蓄積してきたのである。
ところで、同社は営業には出向かない。
そもそも特化された固有の技術を持つため、営業をしなくても発注が同社に集中する構造にはあるが、沼澤が過去の営業経験から発注者の心理を学び取ったことも、この方針を固める背景にあるのだという。
たとえば、こちらから営業に訪問した場合、後ほど返事をすると回答されても一向に連絡が来ない。発注すると回答されても口約束に終わる。そんなケースが多かった。ところが、先方から同社に出向いてきた場合は制約に至る。
「自分で運んだ足は無駄にしたくなく、何とか商売につなげたいと考えるのが人間の心理」と沼澤は自説を述べる。
現在、世界的な高級ブランド品メーカーから商談が入り、詳細を詰めている。
今後の経営課題を尋ねると、沼澤は即答した。
「引き続き他社に負けない商品を作るだけです」
引用元:CEO社長情報
記事掲載日:2012年8月