寿司と和食に特化、本格志向で近畿に展開 料理人の育成に注力、独立も積極的に支援
世界中にブームを巻き起こし、今やユネスコ無形文化遺産にも登録されている「和食」
中でも、グローバルに知られ、最も人気のある和食の一つが「寿司」と言えるだろう。その寿司や和食にとことんこだわり、新しい可能性を追求しているのが、大阪府豊中市の音羽だ。大阪・京都・兵庫の2府1県に、本格派の寿司店「音羽鮨」、完全予約制の割烹「音羽」、大型和食レストラン「音羽茶屋」などを26店舗展開している。関西の寿司や和食の世界では、ちょっと知られた存在なのだ。
同社の創業は1970年。田舞徳太郎氏と喜八郎氏の兄弟が、大阪府池田市で旗揚げした寿司店が発祥だ。味や食材にこだわった寿司は、食通たちの間でたちまち評判となり、芦屋、西宮といったいわゆる「阪神間」や千里などの高級住宅地を中心として、近畿圏で店舗網を広げていった。
同社の田舞登志徳社長は徳太郎氏の長男で、形式上は3代目、実質的には2代目の社長だ。物心ついたときから「寿司屋の息子」として家業を継ぐことを意識し、学生時代は実家の店に入ってアルバイトも経験していたが、大学を卒業すると「敷かれたレールから外れてみたくなって」、いったん大手ビールメーカーに就職したという。
「営業を担当していたんですが、仕事を覚えると面白くなって、すっかり熱中してしまったんですね。サラリーマンをこのまま続けようかと思い始めた矢先、それを見透かしたように、父から電話がありました。『ビールの仕事のほうはどうや』と聞かれたので、『天職やと思っている』と自信満々で答えると、『そんなら、もうええ』と、半ば強引に実家に連れ戻されました。父に言わせれば、そのレベルで満足しているのなら、成長する見込みがないということだったようです」
現在の音羽に入社した田舞社長は、商品部長、営業本部長とキャリアを重ね、約3年前に社長に就任。トップとなってからは、まず「経営のマイナスとなるべきものをなくす」ことに取り組んだが、「実は、最も心を砕いてきたのは、父たちの創業の精神をしっかり受け継ぎ、それを後進に伝えていくことだったんです」と振り返る。
田舞社長が現在、取り組んでいる経営戦略の柱は二つある。
一つは、寿司・和食への特化とそれに伴う人材育成。もう一つは、寿司・和食の新しいビジネスモデルへのチャレンジだ。寿司・和食への特化を打ち出した背景には、中華料理店や焼き鳥店などにも手を広げた過去の多角化路線への反省もある。「私は、経営規模の量的拡大は求めません。質的向上を目指しています。それには、約50年の歴史がある寿司・和食の領域に磨きをかけたほうがいいし、人材育成の方向性も見出しやすいと考えています」と、田舞社長は話す。
本格派の寿司店の評価が、寿司職人の腕にかかっていることは言うまでもない。そのため、同社では「食べ物づくり人づくり」という理念を掲げ、寿司・和食の料理人の育成に力を入れている。例えば、若手・中堅の料理人を対象に、定期的に「調理技術道場」を開講。志願者の中から選抜したメンバーを参加させている。さらに、料理人全員が腕前を競う社内技術コンテストを毎年2月に開催、調理技術のレベルアップを図っている。
面白いのは、社員の「暖簾分け」を積極的に支援していること。せっかく育てた優秀な料理人が独り立ちしてしまうのはある意味、経営にとってダメージになるはずだが、田舞社長は「独立心のある料理人のほうが役に立つ」と言って憚らない。「いずれは自分の店を構えたいと思っている料理人は、目標がはっきりしているので意識が高く、熱心に働きます。サラリーマン根性の染み付いた料理人と比べると、成長の度合いがまるで違うんですね。当社としては、独立志向の人材が集まってくるのは大歓迎。現在、従来の独立支援制度をバージョンアップした新しい制度を検討中です」
その一方で、ビールメーカーなどでの経験を生かし、組織改革も進めている。そのポイントは階層をフラット化して上下の風通しをよくし、意思決定のスピードを上げたことだ。
「私が入社した頃、寿司店は徒弟制度が色濃く残っていて、上下関係が厳しいタテ社会でした。礼儀作法がしっかり身につくといった利点はあったのですが、今の若手は一方的なトップダウンではついてきません。そこで、私は、社員が働きやすいように“バックアップする”リーダーシップに切り替えました。組織を持続させるためには、伝統のよさは残しつつも、組織の形を時代に合わせて変えていかなければならないのです」と、田舞社長は力説する。
寿司・和食の新しいビジネスモデルに挑戦 水産仲卸や冠婚葬祭関連への進出も視野に
音羽が取り組んでいる経営戦略のもう一つの柱が、寿司・和食の新しいビジネスモデルへのチャレンジ。
これまでも寿司店や和食店の新業態を意欲的に出店してきた。出前専門業態による寿司や会席料理、幕の内弁当などのケータリング事業を手がけてきたほか、タッチパネルで注文すると、寿司がレーンで運ばれてくる回転寿司の進化形「流れ鮨」では、関西トップのポジションを獲得している。2006年には、大阪府箕面市の国定公園「明治の森」に和風旅館「音羽山荘」も開設。「宿泊もでき、ブライダルにも利用できるという、新型の日本料理店を作ってみたかったんです」と、同社の田舞登志徳社長は説明する。そうしたチャレンジには、ほかにも狙いがある。
「寿司・和食のイメージをアップさせたいんですね。例えば、寿司・和食の料理人は、昔は志望者が多かったんですが、今はイタリアンシェフやパティシエなどの勢いに押されて、人気が低迷しています。寿司・和食はどうしても地味ですからね。若い人たちにはなかなか振り向いてもらえない。そこで、寿司や和食には、トレンドを取り入れた、スタイリッシュな華やかさも必要だと考えたんです」
田舞社長は今後、外食産業が勝ち残るためには、「地域に密着し、その商圏の生活の中に根づくこと」がカギだと見ている。
「冠婚葬祭やハレの日を考えてみてください。席で供されるのはアッパーゾーンの食事でしょう。寿司や高級な和食は適しているわけですね。『ハレの日と言えば寿司。近畿で寿司店と言えば音羽』といった具合に、ブランディングによって、そうした需要を確実に捕らえるようにしたいですね」
経営基盤を固めるため、コア事業の強化に専念
「新しいことをしたいと私が言っても、経営会議でほかの役員や幹部からブレーキをかけられ、なかなか思うようには行きません」と、田舞社長は笑う。しかし、経営戦略の次のフェーズとしては、新規事業に打って出ることも視野に入れている。「経営の意義を見出せたら、海外に進出する可能性もありますね」。その際、有力な武器となると、田舞社長がにらんでいるのがM&Aだ。
「水産仲卸をM&Aで垂直統合して、食材の調達力を高めるというのも一つの手だと考えています。寿司店や和食店が質で差別化するなら、ネタの勝負になりますからね。それから、冠婚葬祭関連といった寿司店や和食店の周辺領域も、M&Aの有力候補になるでしょう。ただし、飲食業を水平統合する可能性は限定的でしょう。フレンチレストランといったほかの領域は対象外だし、寿司店や和食店のチェーン店も当社の経営規模では体力的に難しい。例えば、個人で経営していた寿司店が廃業した場合、それを継承するケースは考えられますが」
田舞社長は、「経営には遊び心が必要」というのが持論だ。「ビジネスライクな損得勘定ばかりでは、働いていてもつまらないでしょう。クリエイティブな発想も生まれませんよ」と言い切る。そうした田舞社長の姿勢は、音羽の社風にも現れているようだ。ひと言で表すなら、「夢のある寿司店」と言えようか。次にどんな新しい試みにチャレンジするのか、期待を抱かせるのが音羽という企業なのだろう。
interviewer
引用元:ベンチャータイムス
記事掲載日:2017.12.8