〝よい失敗〟の積み重ねの上にあるベンチャー企業の成功
赤字続きのハウステンボスを再生させた3つの約束
澤田秀雄氏──。ビジネスパーソンであれば、誰もが知っている大手旅行会社エイチ・アイ・エス(HIS)の創業者で、いまでは同社の経営の大半を後進に委ねて会長に就いている。その澤田会長が、毎年12月になると楽しみにしていることがある。それは2010年3月に再建支援を引き受けたハウステンボス(長崎県佐世保市)でサンタクロースになり、小さな子どもや女性のお客さまにお菓子を配ることなのだ。
「真っ赤な衣装を身につけて、帽子をかぶります。顔のほとんどを白い髭で覆うと、どなたもサンタクロースの中身が私だとは分かりません。そして、お客さまに喜んでもらえると、私もハッピーになれます。また、そうやってお客さまと直に相対していると、子供たちとシニアの女性の方では感動する対象が違うことなどを、肌身を通して感じ取ることができるようになるのです」
オランダの街並みを再現して1992年に開業したハウステンボスだったが、直後にバブル経済が弾けた影響などを受けて苦境に陥り、03年には会社更生法の適用を申請。澤田会長が支援に乗り出すまで、業績は開業以来、17期連続で営業赤字を計上していた。
しかし、11年9月期に10億5600万円の営業黒字に転じ、15年9月期は入場者数が初の300万人台乗せを果たし、営業利益も100億円の大台に肉薄する可能性が高い。
実は当初、澤田会長もハウステンボスの再建には否定的で、地元からの支援の要請を2回ほど断っていた。
しかし、10年2月の早朝、HISの本社がある新宿の高層ビルの29階に澤田会長が上がると、佐世保市長の朝永則男氏がアポなしで待っていた。「その朝永市長の熱意、観光や雇用の面で地元に貢献できること、難しそうだからかえってやってみたいという私自身の思いの3つが重なり、再建のお手伝いをすることを決断しました」と澤田会長はいう。
そして、3月26日にハウステンボスの社長に就任した澤田会長が目にしたのは、「また経営者が変わるのか。どうせ何をしても同じだろう」という〝負け癖〟のついた社員たちの姿だった。まず、彼らの意識を変えない限り、ハウステンボスの〝第2の創業〟ともいうべき再生はありえない。
そこで澤田会長は社員と、
①嘘でもいいから元気よく挨拶をする。
②汚れていたら清掃をする。
③売り上げ2割増・経費2割減で黒字化させてボーナスを支給する──の3つの約束を交わした。
「難しい戦略や戦術などを説いても分からないでしょう。まず、やれることから始めて、現場の雰囲気を一新したかった。私は1週間の3分の2はハウステンボスにいますが、時間の許す限り現場でそれらを率先して行っています。そうしたなかで、失敗を重ねながらテーマパークのビジネスの神髄が何であるかが、ようやく摑めるようになってきました」
澤田会長がいう失敗の1例が、17時以降の入場料の無料化だ。多くの人を呼び込んで活気を取り戻そうとしたのだが、入場者はまったく増えなかった。結果、そこで学んだことは、必要なお金をかけて来場してもらえる新たな価値を創造していくことだった。
そして誕生した人気イベントの1つが、毎年5月に行なわれる国内最大規模の「100万本のバラ祭り」である。もちろん、その一方では約束通りコスト削減にも努め、花の仕入れ代金を1億円分もカットしたそうだ。
「何事もやってみないと分かりません。しかし、そうしたチャレンジには失敗がつきものです。会社が倒産する可能性のあるチャレンジは論外ですが、もし失敗したとしても、その原因を探究して学ぶことで、新たなチャレンジに活かしていけばいい。そうした〝よい失敗〟を積み重ねていくことによって、大成功が初めて生まれてくるのだと思います」
澤田会長の言葉は、試行錯誤しながら新しい事業を育て上げていこうとしているベンチャー企業の経営者にとって心強く響いてくるはずだ。
そして、いま澤田会長がハウステンボスで行っている新たなチャレンジが「観光ビジネス都市」づくりである。ハウステンボスの面積はモナコ公国とほぼ同じで、ホテルや商業施設に加えて発電施設まで、あらゆる都市機能が揃っている。しかも、私有地なため規制を受けにくい。そこで、新しい技術やサービスの実用化の可能性を探る〝実験の場〟としての活用を進めているのだ。
「その第1弾が今年7月17日に開業した『変なホテル』です。フロント業務や荷物の振り分けにロボットを活用し、無人飛行機(ドローン)を使った料理運搬などのサービスも近く行いたいと考えています。そうした新しいビジネスを生み出していく場として注目されることで、世界中から大勢の人を呼び込みたいのです」と澤田会長は楽しそうに語る。
買収した銀行がモンゴルトップ銀行に!苦戦した証券会社買収から学んだこと
チャレンジすることの重要性を説くエイチ・アイ・エス(HIS)の澤田秀雄会長だが、そのチャレンジ精神の原点は、20代のときにドイツ留学時の世界放浪の旅にある。ネパールのカトマンズを訪れた際に病気になり、死の恐怖を生まれて初めて感じた。そこで「人生は、突然ある日に終わってしまう。何も挑戦せずに後悔しながら死ぬわけにはいかない」と考えたそうだ。
80年、HISの前身となる「インターナショナルツアーズ」を東京・新宿で設立し、格安航空券とそれを利用した個人旅行を扱うため、旅行業の登録を行なった。机2つ、電話1本の小さな事務所での起業だった。いまでこそあって当たり前の存在となった格安航空券と個人旅行だが、当時はぜんせん知られておらず、最初の半年間はまったくお客さまが来なかった。それでも澤田会長には「英国では人口の10%以上の人が海外旅行を楽しんでいる。日本はまだ4%。格安航空券で旅行のコストを下げれば、必ずマーケットは広がる」という確かな読みがあった。 とはいえ、夕方5時までの営業時間中に何もすることがない。そこで没頭したのが読書で、『三国志』『史記』『孫氏の兵法』をはじめとする中国古典や、『徳川家康』『武田信玄』といった日本の歴史小説を次々と読破していった。そのなかには安岡正篤氏の著作もあって、座右の銘となる「得意淡然、失意泰然」という言葉に出会う。
「物事が上手くいっているときは浮かれることなくあっさりと。逆に、上手くいかないときは落ち込むことなくゆったり構えなさいという教えです」と澤田会長はいう。 やがて、格安航空券の利便性が口コミで広がり、初年度ほとんどなかった売り上げが、2年目に2億9600万円、3年目5億9000万円、そして4年目には9億円近くへ倍々ゲームで伸びていった。この間に、格安航空券という新しいサービスのことを聞きつけたメディアから取材の依頼が殺到したそうだが、一切受けなかった。それは「得意淡然、失意泰然」の教えを守るのと同時に、澤田会長にとって事業基盤を揺るぎないものへ育て上げる〝弱者の戦法〟でもあったのだ。
「目立つようになると、まだニッチだった格安航空券の分野に大手旅行会社がこぞって参入して、資金力の乏しい当社は潰されてしまうことが予想されました。そこで、格安航空券という事業の基盤が確立できるまで、最初の7年間は大人しく、目立たないようにしたのです。大手旅行会社の独壇場だった団体旅行も扱いたいという社員もいましたが、刺激しないように一切やらせませんでした」 そう語る澤田会長が「失敗だった」といってはばからないのが、99年の協立証券(現エイチ・エス証券)の買収である。いち早くネット取引を開始し、口座数を増やすことに成功したものの、お客が殺到してシステム障害を起こし、取引ができない事態に陥った。そして、行政処分を受け、営業停止に追い込まれてしまったことがあるのだ。その一番の原因として「自分に金融・証券の知識がなかったこと」を澤田会長は挙げる。 とはいえ、前回も触れたように「失敗から学び、新たなチャレンジに活かす」のが澤田会長のモットー。それがいかんなく発揮されたのが、03年に行ったモンゴルの国有銀行「AG銀行(現ハーン銀行)」の買収だ。「自分に金融の知識がないのなら、金融のプロに経営を任せればいい」と考え、頭取としてアメリカ人をスカウトした。その結果、「5年以内にモンゴルトップの銀行にする」という澤田会長の目標は見事に達成されている。
12年末にはロシア極東のソリッド銀行へ40%の出資を行なった澤田会長は、08年に設立されたアジア経営者連合会の理事長も務め、日本のベンチャー企業とアジア企業との橋渡し役を買って出ている。その澤田会長に今後のアジアビジネスの将来性について尋ねると、次のように答えてくれた。 「成熟した日本国内と違い、未開拓のビジネス領域が広がっています。それだけチャンスがあるわけで、日本でダメでもアジアなら成功する確率が高いのです。よく日本の大企業は、即断即決ができないことがネックだと指摘されています。しかし、経営者自らが先頭に立つベンチャー企業なら小回りが効き、そのスピード感を活かすことで成功を摑み取れるのではないでしょうか」 ベンチャー経営者、そしてこれから起業を目指す人たちにとって、日本国内だけでなく、アジアにおける商機を見出すことも重要になってきているのではないか。
interviewer
引用元:ベンチャータイムス
記事掲載日:2015年9月30日