ニーズが高まる中国の100億円市場を獲りにいく
「こんな京都の町工場に『見積もり送れ』って世界中から言ってくるんですから、日本の誇りやと思てます」
と、語るのはナベル・会長の南部邦男。同社は「自動鶏卵選別包装装置」のトップメーカーである。国内シェア70%、世界シェア20%を誇る。世界シェアではオランダのモバ社に次いで第2位だが、虎視眈々と1位の座を窺っている。
海外には、その他ブラジルや韓国などに同様のメーカーがあるが、1時間に12万個の卵を包装できるのはモバとナベルのみ。しかもこの2社だけが「ひび割れ検知装置」を備えた自動鶏卵選別包装装置を生産しているのである。
現在、ナベルの売上げに占める海外比率はおよそ20%。しかし、国内市場が縮小する一方で中国でのニーズが高まってきており、海外比率は増えていくと南部は予測する。
「中国市場は100億円まで伸びていくと見ています。モバ社と比べて技術的にはわれわれが優位に立っていますから、中国市場は抑えられるんやないかと」
なかなかに強気、自信に満ちた口調である。
「そりゃあ寝ても覚めても卵のことばっかり考えてる私のような人間のいる会社と、社長を外からもってきて、もう1人もそのトップが変わっているようなオランダの会社とでは、持ってるエネルギーが大違いです。ものづくりは、製造現場を知ってる人間がトップに立つんじゃないとダメですね。雇われ社長ではものづくりの会社は成長しません」
さらに南部はこうも言う。
「グローバル経済の中で生き延びていくためには、自分の"金メダル”に誇りを持って、それを大事にして戦っていくことが重要です。だから鶏卵選別包装装置以外の横展開は考えていない」(南部)。
本当に同社はこの装置一筋である。なかでも1998年に独自に開発したひび割れ検知装置が同社のキーテクノロジー。
これを基盤に「1時間に20万個の卵をきれいに洗って不良品を除いて包装するシステム」や、「現在一装置に対して20〜30人が必要な人員を5人に、やがては1人ですむようなシステム」を開発していきたいという。
5年かけてようやくたどり着いた国産第1号機の開発
そもそも同社が鶏卵のパッキング機械の開発を始めたのは、1974年。従業員7人、70坪の工場に4畳半の事務所という時代のことである。その頃はまだ、島津製作所や松下電器産業(現パナソニック)などの1次、2次の下請けとして家電の制御盤を作る会社に過ぎなかった。
「頼まれたけどウチではできんから、きみんとこでやり。これ儲かるよ」と、取引先の一つであるオムロンの担当者が話を持ってきたのがきっかけだった。
当時、需要が出始めていた卵のパッキング機は、輸入品ばかりで導入には8,000万円もかかった。南部たちをはじめとする社員は、情熱につき動かされるように、初の国産機製造に向けて始動した。「昼間は日銭を稼ぎ、夕方になってから、もぞもぞと卵の機械にとりかかる」毎日が続いた。苦労の連続だったが、「俺たちにはできる」という信念のもと、「夢を作っているよう」(南部)に邁進した。ようやく5年後の79年、ついに国産初の鶏卵選別機の製品化に成功した。
試運転に成功したときの、社員全員の映った写真を南部は見せてくれたが、どの顔も幸福そうに輝いているのが印象的だ。
1号機は2,000万円で全農系の業者に納入。メンテナンスのたびに改良を重ね、性能は向上していった。そして80年代に入ると「作るハナから売れる」ほど売上げが伸長していった。
特許で訴えられて特許に目覚める
しかし、「好事魔多し」である。 86年、突然アメリカの会社から特許の侵害で訴えられることになる。賠償請求額は当時の売上高6億円に匹敵するほどのものだった。結局、和解金4,500万円でカタはついたが、これが大きな転機となった。
南部はこの訴訟を通して「特許とはこんなに役立つものか」という大きな教訓を得たという。
以降、同社は知的財産への取り組みを強化し、現在では出願中のものが400件、維持している特許が80件にのぼる。次々に新技術を開発し新製品を世に送り出している同社にとって、欧米と対抗するうえでも、知的財産は大きな武器となっている。
「日本人としての誇りを持って、従業員とその家族のためにこの会社を維持し発展させていこう」という思いで歩んできたという南部。
その経営哲学は?と問えば、“We donʼt want to be bigger but best”という答えが返ってきた。
「今年88歳になる母の口癖『商売と屏風はひろげ過ぎてはあかん』にも通じますな」
南部はにっこりと笑った。