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ラーメン店と中国料理店を複合化 “真似されない業態”に進化させる

株式会社ホイッスル三好 三好比呂己社長 記事サムネイル画像

70種類のメニュー、女性客50%超
他のラーメン店とは一線を画す

差別化された業態として地歩を固めた飲食店も、多店舗展開の過程で一定の型が見えてきて、同業者の真似の対象となりやすい。すると類似店舗が続々と登場し、輝きを失ってしまう。飲食業態には、はかなさが付きものだが、ホイッスル三好が運営する「中国ラーメン揚州商人」は34店舗(直営32店・フランチャイズ2店)に達しても、なお真似されていない。

1号店の開店は1990年。日本化されたラーメンではなく「中国のラーメン」をコンセプトにメニューを構成した。ホイッスル三好代表取締役・三好比呂己氏の祖父は中国・揚州の出身で、1920年(大正9年)に日本に移住して東京・北千住で中国料理店「正華」を開く。その店を父が継ぎ、三代目として三好氏が新たな展開を始めたのだ。

三好氏が打ち立てた方針は、第一に、他社が真似したくとも真似できない店を造ること。第二に、流行に乗らないこと。第三に、社員にとって良い会社にすること。90年代中頃に勃発したラーメンブームとは、いまも一線を画している。

たとえば揚州商人の店舗は20~50席のサイズだが、メニューは約70種類にもおよぶ。ラーメン店として開業した当初は約15種類だったが、「こんなもの、あんなものとアイデアを商品化して、料理メニューを増やしているうちに70種類に増えたのです」(三好氏)。その結果、客層が幅広く老若男女にわたり、女性客比率がラーメン店では異例の50%超に達している。

これだけでも他のラーメン店には真似し難いが、味が均一化しないように調味料を共通化せず、メニューごとに異なる調味料を使用していることも、なかなか類例を見ないだろう。

店舗を訪問した稲盛和夫氏の教え
“労多くして益少なし”の実践

揚州商人では、混雑時に備えた作り置きもしない。混雑時に人気ナンバーワンメニューの「スーラータンメン(酸辣湯麺)」をオーダーした来店客が「作り置きしただろう!」と怒り出したほど、調理スピードが速い。調理は自動化せず手作業だが、現場で改善を積み重ねてスピード化を図ったのである。

店舗の内外装も同様だ。三好氏が中国・上海で3日間にわたって街並みと飲食店を終日撮影した写真からヒントを得て「中国そのもの」(三好氏)という店舗を設計・デザインした。来店した中国の飲食店関係者のなかには、撮影して帰る人もいる。それほど中国の伝統的な飲食店の粋が集約されているのだ。

さらに京セラ創業者・稲盛和夫氏の教えも、大きく影響している。三好氏が稲盛氏主催の盛和塾に入塾してほどなく、稲盛氏が店舗を訪問し、経営のコツを教えてくれたのである。

「成功するには“労多くして益少なし”に徹すること。労少なくして益多しでは失敗する。労多くして益少なしを実践すれば、競合先がどんどん脱落していって、最後に生き残ることができる」。

この教えに従って、FL比率の抑制に傾注するような経営には向わなかった。2016年11月実績で、全店舗(直営32店・FC2店)の平均月商は694万8000円(2016年11月実績)だが、食材原価率も人件費率も「かなり高い」(三好氏)。コストよりも品質を優先して調味料を共通化しないのも、労多くして益少なしの一例である。

スーツから私服に変えたらアイデアとヒラメキが活発化

取材当日、三好氏はキルティングのジャケットを着用していた。写真掲載を想定すると、経営者の服装として重みに欠けると考えた編集者が「ブレザーはありませんか?」と着替えを求めたところ、三好氏は「いつも、こんな服装です」と笑顔を返してきた。それまではスーツしか着た事が無かったが、ある時、際コーポレーション会長の中島武氏が講演で「飲食店の経営者がスーツを着ているようではダメだ」と説いたのを聞いて、スーツから私服に切り替えたら、アイデアやヒラメキが豊富になったという。

2016年の冬メニューとしてリリースした「豚肉の超コラーゲン麺」は、肉汁の中に麺が浸っているような商品だが、こんな着想で開発された。三好氏が「都内で一番美味しいと思う」と自負する揚州商人の小籠包を餃子に応用して「汁汁(ジュージュー)餃子」としてメニューに加え、さらに肉汁をヒントにして、豚肉のみを使ってスープをつくり上げてラーメンに仕立てた。

「毎年訪問している中国のいろいろな飲食店からインスピレーションを得て、遊び心をもって自由な発想でメニューを開発しています」。

2014年からはサービスの強化を進めている。グローバルダイニング出身のコンサルタントを招き、「マニュアルではなく温かいサービス」(三好氏)の提供に取り組んだのである。三好氏は「QSCA(品質・サービス・清潔感・雰囲気)のなかで、QとSの原点回帰に取り組んだのです。下世話な言い方になってしまいますが、とことんQとSを原点回帰させることが一番儲けにつながります」と明言する。

実際、売上高は毎年1億円前後のペースで増え始め、2016年2月通期に直営・FCの揚州商人ブランド年間売上高は25億8000万円を計上した。同7月から8月にかけて、渋谷センター街店、昭島森タウン店を開店。揚州商人各店舗の月商売り上げの平均は700万を上げ、2017年2月通期には27億2200万円を見込んでいる。

60歳の人生までの勝ち組と80歳の人生までの勝ち組は違う

一方、会社設立時に打ち立てた「社員にとって良い会社」には、どう取り組んでいるのだろうか。

「おもに人間の生き方を教えています」。そう語る三好氏は、自己啓発プログラム「SMI」の創業者で知られるポール・J・マイヤーの影響を受け、SMIの販売代理店もやっている。SMIの販売においては世界1位を7回受賞した実績を持ち、SMI史上もっともSMIを多く販売した人物でもある。SMIの内容をラーメン店経営にも活かして、月に一回、社内でモティベーションのセミナーを開いている。また全店を回りはじめ社長セミナーも始めた。社長セミナーの内容は、やはり生き方に関するもので、60歳を過ぎた三好氏(1955年生まれ)の実体験も話している。たとえば、こんな話である。

「良い大学を出て一流企業に就職して出世することは、60歳までの成功です。私の同年代を見ると、60歳までの成功者で定年退職後も幸せな人はきわめて少なく、80歳まで幸せな人は何人いるでしょうか?うちは一流企業ではないので、社員も60歳までは勝ち組ではないかもしれないけど、80歳までの人生では勝ち組になろうじゃないか。そのためには準備が必要なのです。60歳までしか成功しない人のほとんどは、仕事の目標しか持っていないのです。80歳を超えても成功するためには、六つの分野(精神面・家庭生活面・社会生活面・教養面・健康面・経済面)に目標を持つことなのです。これをポール・J・マイヤーはトータルパースンとよび、若い時からこの六分野に目標を持つことを、最大のポイントとしています。これを実行すると本当に運が良くなって、幸せな人生を送れるようになります」。

いま三好氏は、29歳になる息子の三好一太朗専務に経営のほとんどを委譲している。一太朗氏は物件開発能力にすぐれ、新たな店舗展開を期待できると楽しみにしている。

「ショッピングセンターからの出店要請が増えています。売り上げを確保できる商業環境なので、できるだけ応えていこうと思います。やがて、これまでとは違ったかたちで、楊州商人がクローズアップされるのではないかと見ています」。